81杯目「ひとりLONDON HEARTS」

先日、大阪での会食会を経て、そのまま最終夜行バスで東京に出張する予定だった。

が、会食会が盛り上がりなんとバスを逃してしまった…
もう始発の新幹線しか無く困り果てていると偶然、同業者の女性の友達と遭遇。
事情を説明すると

「じゃーうち泊まりなよ」say。

な、なんて優しいんだ!という事で遠慮なく始発の時間までお願いする。
女性の1人暮らしにしては十分すぎる広い部屋。
ソファーを借りて早速仮眠を取る事にする。
幸い会食会でのお酒が手伝ってすぐに夢の世界まで辿り着く。
睡眠不足続きのここ数日、ようやく眠れる安らぎの時間。

ふわふわといい気持ちの松原を正反対の世界に誘う出発ベルが突然鳴り響く。

“ドンドンド!!ドンドン!”

飛び起きる松原。
洗面所に居た友達も慌てて扉を開ける。

「え?なにごと?」

すると玄関の外から

「おい!○○!おるんやろ?開けてや!」

玄関をノックする音と共に男性の声が飛び込んでくる…

「やば!彼氏や!!」

小声で松原に説明してくれる彼女の顔は先程の見慣れた表情から深刻な表情に変わっている。

「うちの彼氏、ヤキモチ焼きやから説明しても信じてくれへんからヤバい!どうしよ…」
ってうぉおぉぉーい!!
ほんなら泊めるなよぉ!!
まじで言うてんの?この状況どうしたらええねん(怒)
しかしそんな口論と考える時間を積み上げている余裕は全く無い。

どんどん彼氏の口調は荒くなり、扉を叩く音が強くなる。

「ちょっと待ってー開けるわー」

これ以上エスカレートしない様に彼女が答える。

「早く開けろや!誰かおるんちゃんか?」

全身に電気が走る鋭利な言葉が部屋の中の2人を襲うと同時に松原はとっさに玄関から靴を取り、
鞄を抱え彼女がその隙に開けてくれたベランダへとトラベリング!
ひんやりとしたコンクリートの感触を足の裏から感じると同時にベランダの窓は静かにしまりカーテンが先程の安らぎの空間と現実を光と共に遮る。

「まじで…」

もう頭は真っ白。これは完全にリアルロンドンハーツ…。

本当にこんな事が自分の身に起こるとは…。

「想像できることは、全て現実なのだ。」
今ならパブロ・ピカソのこの言葉の意味が解る気がする。

そして松原がしなければならない事は限りなく存在を消し、体を細く縮め、壁に同化せねばならない。
携帯が鳴らない様にバイブ設定にし、
財布についたチェーンの音が鳴らないようにベランダにあったタオルに包んで足元置く。

用意は周到。

そうこうしていると男女の口論が耳に入る。

「じゃーなんで開けるのに時間かかってん!」
「洗面所におったからしゃーないやん!」
「じゃーなんでソファーがあったかいねん!」

きっと今、彼氏は松原が作った温もりについて彼女にキレているのだろう。
お陰で松原はソファーに全ての温もりを置いてきてしまい今は冷たいコンクリートの壁にどんどん体温を奪われている。

しかしこのままでは容易にベランダなど探されるに決まっている。
その時はもう言い訳は皆無。
一度隠れたなら確実に隠れきらないといけない。
それは親切で泊めてくれた彼女の為でもある。

そう思うと同時にベランダから見下ろす。

と、ここは2階。地上から約9mほどの高さである。

「うわ~、飛び降りれない事は無い微妙な高さや~ん…」

PCが入った鞄に加え、地面には植木が安全な着地を防御している。
怪我のリスクは確実である。
しかしビビっている暇など無い。

飛ぶか?飛ばないか?

高所恐怖症の松原は人生でコレほどまでに羽が欲しいと思った事は無い。
“金”など無意味。
今は“羽”が欲しい。
神様!全財産を払ってもいいのでどうか僕に羽をつけて“自由”をください。

そんな神頼みをしている間に彼らは仲直りをして普通に喋っているでは無いか!?

ホっと安心したその瞬間からもっと地味な地獄の3時間が始まる。
素足で冷たいコンクリの上で少しでも物音を立てる事が出来ないこの状況で3時間ほど、
とあるカップルの日常をカーテン越しに傍聴しなければならない…

そして讃えるのは彼女である。

「え?俺おる事、忘れてる?」
なぐらいのナチュラルトーク。

しかしその感服はものの数分で気持ちは消え、
2階なので大した夜景も無く、退屈な景色がますます孤独を感じるのに一役を買う。
この3時間は人生でもっとも退屈で、しかし気の抜くことが出来ない矛盾した時間。
この時の中で様々な事に懺悔し人として成長をしていく。

そして僅かに木漏れていた部屋の明かりさえも消える。

そうである。

“寝た”

のである。

うらぁぁ!!!寝るんかーイ!
ってか泊まるんかぁーーい!

おそらく彼らが起きるのは昼過ぎ。
ベランダの松原は一瞬で悟る。
「飛び降りるしかない」

ぐぉぉぉ!こ、怖い!怖い!いや、やっぱ怖い!神様ぁ!体が震える。
ぶるぶる。この振動にあわせて携帯も震える。

携帯を取り出すとなんと彼女からメールで
「いまコンビニに来てるから今のうちに出て!」

っしゃーーー!
good job!!

急いでベランダの窓を開け、ドキドキMAXで部屋から飛び出る。

見かねた神様がくれた“自由”。

嗚呼、俺は自由。もうどこへでも飛び立てる。
そして松原は手にした自由の羽を広げ、新大阪駅にタクシーで飛びだす。

そう。自由の代償…

あのベランダに財布を置いたまま。

-2011/08/23 update-