38杯目 「10年を振り返る企画」
はっぴー。 ぼくもまもなく30歳だよ。
あと少しで20代がおわる。。。
思い起こせばこの10年はライブハウスに注いだ10年でした。
そこで今回のコラムはこの10年間の松原の歴史と、勤務するライブハウスでの主な出来事をダイジェストで紐解きます!
産毛を数えるぐらい暇な人だけ読んで、なんのメリットも無い松原マニアになろう!
■1997年7月 高校3年生。某ライブハウスオープンライブに出演。 ノルマを達成せず大赤字。現金のない松原は体で返す事になり、1週間のタダ働き。そのままライブハウスで働くことになる。
■1998年某月 柵のないライブハウスに柵にもなる「お立ち台」を導入。特許申請を検討するが特許庁から「はぁ?」という回答を得る。
■1999年某月 ライブ中に普通にすごい乱闘事件発生。勤務中に警察の踏み込みを許す。そして血で染まった出来立てのお立ち台を泣きながら掃除する。スタッフ2人は耐え切れず辞職。
■1999年某月 ギターウルフセイジ氏の一言で今までなかったライブハウスの楽屋にトイレを設置。
■同年6月 ステージ前の天井に大きな穴が出来て、想像を絶する滝が発生。風流なライブハウスとして言いくるめ観客に許してもらう。
■2000年10月 苦情対策の為ライブ中は外に出れない制度導入。外側のシャッターを当時店長が閉める。中から「助けてー」「警察呼ぶぞコラー!」との悲鳴・罵倒が飛び立派な軟禁事件へ。
■2001年2月 ライブ中にライブハウスの前の道路の地下に潜っている水道管が破裂。地球滅亡系の映画で見た事ある景色がライブハウスを囲む。
■2001年7月 バイトだった松原(20歳)はライブハウス店長に就任。
■2001年12月 年末にオールナイト8連発(総勢200バンド)を開催。スタッフの大ブーイングが起こる。
■2002年3月 今度はオールナイト10連発(総勢245バンド出演)を開催。10日間ライブハウスに泊まり、どこが自分の家かワカラナクナル。
■2002年6月。ワールドカップ日韓同時開催。ライブハウスにて君が代が斉唱。
■2002年某月 ツアーバンドがコンビニでヤクザをボコる。ボコられたヤクザのアニキ的存在が来店→客・出演者・スタッフ全ての男子が店の外に整列させられて犯人捜し→ツアーバンドはすでに帰っていた為犯人不在。アニキ的存在も犯人が見つからないと帰れるに帰れなくなり、みんなで朝日を見て、帰る。
■2003年3月 ロードオブメジャーライブ中にマーシャルから煙が出て小火騒ぎ。
■2003年5月 ライブ中に常識を逸した雨漏りを記録。10cmの浸水で観客に500円キャッシュバック。
■2003年9月 メンテナンス中、女子スタッフが脚立から落下。自分のメンテナンスを余儀なくされる。
■2004年3月。ミラーボールの中より、風次こと、藤井氏生誕。以後伝説となる。
■2004年12月 ライブハウス内にてゴキブリの人口孵化に初成功!
■2005年8月 「松原祭30連発」開催。30日間呑み明かす。
■同年 震災10年目の節目としてチャリティイベントGOING KOBE開催。
■2006年5月 神戸市主催神戸まつりとタッグを組みGOING KOBE'06を開催。2万人の動員を集め、兵庫県警と確執が生まれる。
■2006年5月 社員旅行in沖縄を決行!飛行機が墜落しそうになり翌朝スタッフは念願の「朝ズバ」に出演。事の重大さを理解せず手放しで喜ぶ。
■2006年6月9日。「地球温暖化の相対関係」についてのディベートが全スタッフにより笑いナシで行われる。
■2006年8月 「松原祭40連発」に拡大開催。40日間呑み続け血便が出る。
■2006年10月 松原と風次のユニット「松風」でM-1グランプリ2006に出場。
■2007年1月 シャブ中がライブに乱入。警察のお世話になる。
■同年5月 行政、県警と喧嘩しながらGOING KOBE'07を開催。
■同年8月 「松原祭41連発」にまた拡大開催。巷で自殺行為と噂になる。
■2011年 テレビが変わる。松原が変わる。
-2007/08/05 update-